鹿児島県三島村(トカラ列島)の中之島を 自転車で走ってみました。 |
1月17日 羽田空港→(飛行機)→鹿児島空港=(バス)=鹿児島 鹿児島〜フェリー〜 1月18日 〜〜中之島 1月19日 中之島 1月20日 中之島〜鹿児島 1月21日 鹿児島=(バス)=鹿児島空港→(飛行機)→羽田空港 |
1月17日 羽田空港→(飛行機)→鹿児島空港=(バス)=鹿児島 鹿児島〜フェリー〜 鹿児島県の中之島(トカラ)を自転車で走ってみました。 羽田空港 16:30 鹿児島空港 18:30 鹿児島港 23:00 作成中ですが、出来たところまで公開します。●印は、作成中の自分向けメモです。 全国1719市町村がありますが、自転車で走ったことのないのは、あと4市町村です。 走ったことのない市町村の1つの、鹿児島県三島村を走ってみることにしました。 今回は、三島村の中でもっとも大きい島の、中之島を自転車で走ってみることにしました。 午前中はお仕事。夕方、羽田空港から飛行機で鹿児島空港へ移動。昼の飛行機は乗車率約2割?でとってもすいていました。ここからは余談なのですけど、今のところ(2014年1月)国内線の飛行機は、輪行(解体)した自転車は、他の荷物と同様に重さ20kgまでなら、無料で運んでくれるのですけど、最近国際線の基準が厳しくなって、JALは3辺合計203cm、ANAは158cm以上は超過手荷物料金15000円がかかるようになり、非常に困りものです。今回は国内線なので、自転車を運ぶのは無料、さらに、今回は特典航空券(2年前のヨーロッパ旅行のおまけ)として、航空券も無料です。 鹿児島空港からバスで鹿児島市天文館まで移動。輪行(解体)した自転車は、バスの下の荷物室に(無理やり?)乗せて頂きました。 天文館は鹿児島の中心繁華街(商店街)です。夕食を食べていなかったのでここで夕食。有名店を調べて行きたいのですけど、今日は時間がないのです。バスを降りたのが、19時40分、中之島へ行くフェリーは23時00分発なんですけど、フェリーの搭乗手続き締め切りが21時00分なのです。バスの中にあった、「かごしま黒豚うまい店マップ」を見て、輪行した自転車を持って、降りたバス停の近くの、「六白」という鹿児島黒豚のとんかつ店に行きました。特選六白黒豚ロース(大)定食(+マップについてたワンドリンク無料券のドリンク)2100円でおなかいっぱいになりました。店に入る前に、袋入りの自転車を置いて、店内に入ったら、「ここにおいてもいいですよ。」ということで、自転車は店内に持ち込み。「これって、楽器ですか?」「ばらした自転車です。」 港に着くと、思ったよりも大きな船が泊まっていました。こじんまりとしたターミナルできっぷを買います。手荷物取扱所で聞いてみると、「これって預けたほうがいいのですか?」「大きいなぁ。持って行っていいよ。」ということです。ラッキーです。 船の場合、預け荷物は他の荷物に押されて部品変形したことがあるので、できれば預けたくないのです。一方、飛行機では、自転車破損の経験はありません。 21時になり、鹿児島港から、トカラ諸島経由奄美大島行きのフェリーに乗りました。運賃は、6010円+2等指定2500円です。前日の睡眠2時間だったので、今日は2段ベットでゆっくりと寝ることにします。フェリー十島は総トン数1391トン、全長81m、定員200名のそこそこのサイズです。船内は、シャワー、売店、食堂もあり、定員のわりに設備はよいです。また乗船券を差し出すと、黒いスーツを着た船員は、礼儀正しく、部屋まで案内していただけるなど、対応が非常によいのが印象的でした。「シャワーどこですか」と聞いたら、場所まで案内していただけます。村営船なのにスタッフの教育?が非常にできています。 乗船手続きは、出航2時間前だったはずなのですけど、2時間前に乗っている乗客はわずかです。実際には切符購入は直前でもよいのか、またはあらかじめ切符を買っているのか不明です。 船の案内所に、それぞれの島のスタンプがあります。それぞれの島に行かなくても、スタンプをコンプリートすることができます。トカラ諸島のスタンプと、中之島のスタンプをはがきに押しておきました。あとは、シャワー(5分100円)だけあびて、船が動かないうちから寝ました。 ここで、トカラ列島や中之島の紹介をしておきます。 鹿児島県三島村は、鹿児島県の種子島・屋久島より南、奄美大島より北のトカラ列島と呼ばれる島々です。口之島、中之島、平島、諏訪瀬島、悪石島、子宝島、宝島が有人島で、南北160kmに広がっています。人口はそれぞれの島全部足しても(25年10月)637人です。日本最後の秘境ともよばれています。それぞれの島は、飛行場などないので、行く手段はフェリーのみです。鹿児島からトカラ列島各島を経由して、奄美大島行きのフェリーが週2便出ています。鹿児島から各島まで、6時間から13時間かかります。フェリーは1日目の23時に鹿児島港を出航し、2日目の朝から昼にかけて各島に寄り、14時30分に奄美大島名瀬に着きます。そして、3日目の朝3時50分に奄美大島名瀬を出航し、各島に寄って、夕方18時50分に鹿児島港に到着するスケジュールです。それぞれの島は20km以上離れており、各島間の往来は週2便のフェリーだけなので、1回の短期間の観光で行けるのは1つの島だけです。さらに海が荒れると欠航、遅延しやすく、予定を立てにくいのも観光客が少ない要因となっています。今回の旅行も、土曜日夕方から日曜日午前にかけて3m程度の波が予想、それより前と後は2m以下の波が予想されており、金曜の行きの航路は就航しても、日曜日の帰りが遅延か1日先延ばしの可能性があると思っていました。台風でないので、数日足止めはないでしょう。多分。気象予報士持っているので、地上天気図と、高層天気図と、GPVと、波浪予報見ながら、旅行前にはいろいろと考えます。 交通事情が不便?なため、観光客は少なそうです。日本最後の秘境とも呼ばれています。 役場は鹿児島市内にあるので、三島村市長や役場職員は、三島村の住民でなく、鹿児島市の住民であり、村長は村議会議員の選挙権がないという、不思議な状況です。 中之島は、トカラ列島北から2番目の島で、人口、面積が最大の島です。それでも人口142人です。島の大きさは周囲31.8kmと、自転車で走るには適度な大きさです。警察官や医師も住んでいる島です(他の島にはいない)。島の北側に御岳とよばれる火山(標高979m)があり、離島のわりに高めの山となっています。 おこずかい帳 羽田→鹿児島空港 0円(特典航空券) 空港→天文館 1200円 とんかつ定食 1200円 タクシー 600円 コンビニで食料 410円 鹿児島→中之島 6010円+2等指定2500円 |
1月18日 〜〜中之島 中之島(三島村・トカラ)を自転車で走りました。 中之島 6:05 船は5時過ぎに口之島に寄ったあと、早朝6時すぎに中之島に到着しました。あたりはまだ真っ暗です。朝早いのに、港には147人の住民のうち、約20人が集まっています。船の通船作業や、荷物をとりに来た人、警察官などなど。降りて、自転車を組み立てていると、船は足早に出港し、あたりに人はいなくなってしまいました。停泊時間ほんの10分ほどで、コンテナや車両の積み下ろしをするのは大変そうです。 島を走ります。まず、民宿に行く途中に、役場出張所(中之島地区コミュニティセンター)の張り紙で、歴史民俗資料館と天文台の予約方法をメモ。続いて、民宿に行って、荷物を置いて朝食。島内に飲食店はありません。飲み物の自動販売機はありますが、売店は1箇所のみ、船の入港直後と、夕方4時ころのみの営業で、商品は非常に少ないです。食材が少々と、お菓子とアイスクリーム少々のみです。食事は民宿に3食ともお願いすることになります。なお、民宿は島内に4軒です。キャンプ場は1ヶ所あるみたいですが、港からは山を挟んだ反対側で、集落から遠く、使用は困難そうです。 人がまったくいない静かなコンクリート舗装の林道。やぎが少々、落ち葉多数、落石多数の道です。林道終点750m付近には、テレビの中継所、ドコモの携帯電話中継所などがあります。テレビの中継所は、中之島に電波を送るだけでなく、種子島からの電波を受けて、奄美大島に電波を送る重要な役割をしています。 下山して十島村役場の出張所で下山連絡。さらに、公衆電話があったので、日本航空に連絡。特典航空券の変更をお願いしました。携帯電話からフリーダイヤルが使えないので、電話代が高くなるのですけど、公衆電話からはフリーダイヤル使用可能なのです。航路の欠航による変更は、書面による証明書があれば可能ということで、役場の方に、欠航証明書等の発行をお願いしました。 出張所の掲示板に、レンタサイクルとレンタルスクーターの案内がありました。自転車は1日2000円、スクーターは4時間2500円で、貸し出し場所は開発センター(港からは徒歩40分くらいの丘の上)だそうです。 歴史民族資料館に着きました。ここは島の博物館です。入場料300円を支払い記帳。1月はじめての入館者みたいです。トカラの案内ビデオを見てからさまざまな展示を、案内付きで見せて頂きました。 中世のころから国際交流の立ち寄り地であり、高価な陶磁器や、古銭などが出土されているそうです。 江戸時代はトカラ列島は薩摩藩の統治下にあったそうです。1824年イギリスの船が宝島に上陸し、牛を売ってほしかったそうですが、当時は鎖国中、貿易は禁止です。食料を渡したところ、今度は牛を強奪しようと武力で対抗してきたので、たまたま出張で来ていた薩摩藩の役人が火縄銃で船員1名を撃ち殺しイギリスの船は退散したという南の島の大事件があったそうで、これにより幕府は鎖国を強化したそうです。 、戦前は、鹿児島県の硫黄島を含む今の三島村と、今の十島村(としまむら)はともに、十島村(じっとうそん)であったが、戦後、昭和21年に沖縄を含む北緯30度以南は日本と分離され、トカラ列島はアメリカ統治となったが、昭和27年に北緯29度以北は日本に返還され、十島村(としまむら)および三島村となったそうです。アメリカ統治中は密貿易で栄えたそうです。 島外との唯一の交流手段の村営航路は、だんだんと大型の船となり、港も整備され、島の開発が進んたそうです。以前は港や防波堤が整備されておらず、島民によって、危険なはしけ作業によって物の陸揚げが行われていたそうです。今になっても島民が通船作業(係留ロープの敷設取り外しやコンテナの積み下ろし、搭乗口?(何ていうの?ブリッジ?)の取り付け取り外し)などを島民が行っているのは変わりません。 一方、臥蛇島のように、人口が減って無人化してしまった島もあるそうで、昭和45年の島の別れの貴重な映像もありました。 明治時代以降、硫黄の採掘で島はにぎわったそうですが、現在では硫黄は石油精製で生産できるので、現在は採掘されてないそうです。 2009年に皆既日食があり、狭いトカラ列島に大勢の観測客が訪れたのですが、インフラに乏しい島なので、島民が協力して観測客を迎えたそうです。しかし、皆既前後だけ天気が悪く、残念な状況だったそうです。 植物について 面積わずかのトカラ列島には、南方系と北方系の植物がそれぞれみられ、タモトユリ(口之島)のように貴重な固有種もあります。 動物について 国指定天然記念物の、アカヒゲ、イイジマムシクイ、アカコッコなど貴重な鳥が見られるそうです。 また、南北を移動する渡り鳥や蝶ががトカラ列島を通っていくそうで、日本であまり見られない鳥も見かけることがあるそうです。水に浮けない種類の鳥は、海に落ちたら死亡なので、小さなトカラ列島であっても非常に貴重な島です。渡り鳥は地図を持っているわけでなく、どのように飛んでいくか不思議です。 日本在来馬のトカラ馬が中之島で飼育されています。1897年に喜界島から農耕用に持ち込まれたそうで、現在は11頭だそうです。なお、日本在来馬は他に、野間馬(愛媛)、木曾馬、ドサンコ、対馬馬、御崎馬(宮崎)、宮古馬、与那国馬が現存するそうです。 トカラはハブの北限であり、沖縄のような強毒のハブはいないそうですが、マイナーなハブのため血清がなく、かまれたら一週間苦しむことになるそうです。 民俗について 独特な祭事が行われ、悪石島のボゼが有名です。ボゼは南方のかぶりものの文化がみれれる祭りで、資料館では映像を見ることができます。 農具(かご型のリュックサック?)の持ち方にしても、奄美大島では1本のひもで頭に引っかけて持つ、南九州では2本のひもでリュックサック上に持つ、中之島では1本のひもでリュックサック状に持つなど、奄美と南九州の中間的な文化が見られるそうです。 雨が降っていたので、見学していました。資料館の方には、めったに来ない客が長居してしまって迷惑だったかもしれません。 けど、詳しく説明文書書いたつもりです。少しは島のPRに役立てばいいなぁと思っています。 民俗資料館で明日の天文台の予約。星が見れる天気かどうか明日の夜に民宿へ連絡して頂けるそうです。 雨もやんだ夕方。民宿(港)方向へ移動します。途中商店に寄りましたが、お菓子もあまりなし。アイスクリームだけ買ってみました。150円。 宿に戻る前に、温泉に入りました。港近くの、西集落に西温泉、東集落に東温泉があります。料金は任意です。町内会で運営されており、だれでも入れるようになっています。温泉のおかげで家に風呂がなくてもよいようです。温泉にはお子様や教頭先生なる人が入浴されていました。(お子様が「教頭せんせい!」と叫んでいる)。非常に整備された綺麗な温泉です。料金任意です。温泉には、1000円以上の寄付者の名簿が掲示されており、募金箱がおいてあります。なお、せっけんやシャンプーなどはないので注意です。せっけんを持っていない場合、宿の風呂のボディシャンプーをタオルに含ませてから行くしかないのかな。一方、民宿は、風呂場はあるけど、近くに温泉があるので、風呂は入れないそうです。離島なので、水代は高いし、ガス代も高いのでしょう。宿で、「入ったらいけない時間帯ってあるのですか」と聞いたところ、「今はそのような時間はない」だそうです。 宿に戻り食事。その後、宿の無線LANを使って明日の観光のための調査。宿の無線LANは、「WPA2-AESのステルスモード」という厳しい設定となっており、持参ノートパソコンの古いLANカードでは接続不可、スマートフォンからは接続可能でした。なんでこんなきつきつ設定なんだか。 民宿にあった本を部屋で読んでました。
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