97年3月17日 くもり
高雄−台南−嘉義

 宿を出たのは10時すぎ、よふかしすると朝出るのが遅くなります。
 1号線をずっと進みます。バイクが止まりました。なんか話しかけてきました。「言葉わかりません」「日本人か」「はい」「がんばれがんばれ」といわれ、ポカリの缶を3本いただく。「さようなら」そういって、バイクに乗ったお兄さんは行ってしまいました。いきなりの親切にびっくり。
 1号線は、4車線以上の道がずっと続きます。数キロの直線がしょっちゅうあって、眠たくなりそうです。
 台南はバイパスに逃げましたが、後からガイドブックをみると京都のように歴史ある街だったようで、残念。
 昼過ぎ、新営で、パンク!。軒下で修理をする。何でつまようじが刺さってるの!。無事復帰。空気を入れているとおじいさんが話しかけてきた。「すみません。言葉わかりません」「あんた日本人か、自転車屋、向こうにあるよ。」「パンク修理終わりました。ありがとうございました。」手洗うかと言われてうちにおじゃまする。手を洗ったところ、お茶が出てきた。睡眠薬が入っていないだろうなと思いながら飲む。お菓子とみかんをいただく。そして、道の前の床屋へ、指さされたのは、昭和十?年と書いてある、日本政府発行の理容師免許。大切に掲げられてありました。それから、近くの店につれられる。肉団子汁をいただく。ここの名物らしい、そして、うちに戻り、写真を撮って、おじいさんにつれられてスタートする。お寺、市役所、高等女学校、中学校、図書館など案内される。それから、その方の家へ、日本の旅行の写真を見せていただいた。下関、関門橋、浅草、都庁、などの、写真でした。飛行機で福岡まで行き小倉から大阪まではフェリーで移動、京都、東京と観光して、東京から飛行機で帰ったようでした。お礼を言って、別れました。(解放された?)道ばたでそのことをノートに書いてるとその横の掲示板 日本木更津獅子会贈だそうだ。ライオンズクラブらしい。
 暗くなって、嘉義の街に到着。道の途中には北回帰線の塔がありました。
 さて、宿はどこにしよう。ガイドブックをみる。永興大旅社500元決定。
 その後、街めぐり。コンピュータ街がありそちらをのぞく。コピーされたCD−ROMを売ってる露天商もいました。いろいろ入って、1枚800元らしい。以下略...

 きょうは寝るのが1時になってしまいました。




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