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台湾うまいモノ漫遊自転車旅行記 byがんさん

走ったとき 2001年9月
走ったところ 台北〜高雄

この文章は、がんさんがかずあきの掲示板に書き込まれたものです。
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そもそも今回、台湾旅行を思い立ったきっかけは、小林よしのり氏の「台湾論」でした。 もともと彼女が「ゴー宣」好きだったのに加え、ニュース等で小林氏が入国拒否を喰らったことなどは知っていたので興味はありましたが、当初はなぜ彼が台湾を取り上げたのかが良く分からず、実際に手にとったのは今年の夏前でした。 読んでみると実に興味深く、彼女にも貸し与えて二人して台湾に対する関心が芽生えていたのです。

ちょうどそんな折、どちらからとも無く、「今年の夏はどこも行ってないねぇ・・・」「どっか旅行でもするか?」という話になり、「ねぇ、そんならいっそ台湾行ってみない!?」と言う彼女の一言で台湾行きが決定! そこで自分が、八割方は冗談のつもりで「どうせ行くなら自転車で台湾縦断でもやってみっか?」といってみると、まさか乗るまいと思っていた彼女が「あ、それいいかも!」とすっかり乗り気になってしまい、この時点で自転車旅行も決定!(笑) 自分が言い出した事ではありますが、何しろ自分自身、自転車旅行なんて十年以上前に神奈川から大阪まで行ったことがあるだけですし、彼女に至っては、はっきり言って自転車なんて乗れるだけ(笑) 大いに不安を抱きつつも準備を開始しました。

このページをはじめ、あちこちのホームページで台湾と自転車に関する情報を集め、台湾に関する書籍を手当たり次第読みまくり、自転車や様々な周辺機器を揃え、予行演習として九十九里を走ったり、品川〜逗子間を往復したりで、旅行前夜まではあっという間でした。 そしてこの夜は、この話が持ち上がった当初から企画していた秘策を準備しました。 それは、「我是日本人  我喜歓台湾」(あちらの言葉で、私は日本人です 私は台湾が大好きです」の意)と、大きく背中にプリントしたT-シャツの作成です。 彼女は、「そんなん、カモです騙して下さいって看板挙げてるようなモンじゃないの?」なんて言っていましたが・・・。


大好評だった自作T−シャツ
新竹付近の路傍にて
(クリックすると文字部分の拡大図を表示します。)

自転車を箱詰めし、ワゴン車のタクシーを呼んで、いよいよ羽田(中華航空を使いました)へ。 さすがに自転車二台は大荷物で、リヤシートを全部たたまないと乗らなかったため、自分は自転車の箱に押しつぶされるようにして、たたんだリヤシートの上で小さくなっていました(笑)



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  中華航空のカウンターで自転車の箱を秤に乗せると、なんと規定重量を越えています。 わざわざ体重計ではかったはずなのに、こりゃ超過料金かぁ!?(汗)とあせったのですが、係員の方は当たり前のように、「ああ、これぐらいおまけしときますよ」との事。 帰りもそうだったのですが、4〜5kg程度の超過については、結構大らかに見逃してもらえるようです。 もっとも、最初からそれをあてにはしない方がいいとは思いますが。

そんなこんなで、あれやこれやと冷や汗をかきつつも無事機上の人となり、一路台北へ向けGO! さすがに離陸の際は、彼女共々、これが日本の見納めかも、などとちょっと感傷に浸っておりました(笑)。

さて、いよいよ台北到着。 空港内はきれいで入国手続きもスムースに終わり、第一印象はGOOD! ターンテーブルの前で、自転車は無事だろうかと心配していると、脇のドアから、巨大なカートに乗って登場。 ちゃんと縦に積んでありますし、箱にも破損は見当たらず、一安心です。

さて、この後、この巨大な箱二つとともに、どうやってホテルまで移動するか。 今回は、最初2泊と最後1泊は台北の富都大飯店に泊まり、台湾滞在中はここで箱を預かってもらって帰りに箱を再利用する計画なので(帰りに台北で新たに箱を入手するのは面倒かつ不安だった)、箱のまま移動しなければなりません。 まずはインフォメーションカウンターへ。 拙い英語で尋ねると、1500〜2000NT$でワゴン車をチャーターするか、一人200元程度のバスを使えとの事。 台北市内の地図を頂いて調べると、バス停からホテルまではそれほど距離もなさそうなのでバスを使うことにし、ロビーを出てバス乗り場へ。 すると、やはりと言うべきか、タクシーの客引きとおぼしき男たちがわらわらと群がってきました。 北京語は皆目分からないので推測ですが、どうもそんなにデカイ荷物ではバスは無理だ、ワゴンを手配してやるからそっちにしろ、と言っている様子。 早速T−シャツの胸のプリントを指差し、「我是日本人、I'LL TAKE A BUS.」と言うと、そのうちの一人が携帯電話を取り出し、何かまくし立てかと思うと、その電話を自分に突きつけてきました。 何かと思ったら、電話の向こうから聞こえてきたのは片言の日本語でした。 携帯越しに通訳をしようって訳です。 それによると、だいたい自分の推測通りの話でした。 とりあえずこの時点では、まだ用心する気持ちが強かったのもあり、また節約も必要だろうとの事で彼女とも意見が一致し、お断りしてバスへ。 何とか横腹の貨物室に自転車を収め、台北市内へ向かいました。 MRTの民権西路駅前で下車し、持参のカートに自転車を積んでホテルへ。 距離は大したこと無かったのですが、歩道上は原チャリの路駐の嵐で結構気を使わされ、すっかり疲れてしまいました。

さて、ようやくホテルに到着です。 着いてみると、なかなか立派なホテルで、日本語の出来るスタッフも多く、対応も丁寧で好感を持てました。 ベルサービスで箱詰めしたままの自転車を預かっていただき、チェックインを済ませて部屋へ。 荷解きの後、遅い夕食のため、ホテル近くの小規模な夜市をのぞきにいきました。 初めての夜市は、活気がありつつもどこかのんびりした雰囲気が漂い、実にいい感じです。 一回りした後、ここを試してみようやと一軒の屋台の前であれやこれやと壁のメニューを物色していると、「通訳しましょうか?」との声。 見ると、40歳前後の、ちょっと目つきの悪そうな(笑)おじさんでした。 お言葉に甘えて、ざっとメニューの解説をしていただき、食べるものを決めるとおじさんは、「これで俺の出番は終わりかな?」って感じで自分の席に戻ると、黙々と食事をはじめました。 何かみやげ物を売りつけようとか、そう言うことではなく、純粋な親切から出た行為だったようです。 これで一気に旅先での警戒心が解け、二人ともリラックスできました。 ついでにおじさんに教えていただき、近くのコンビニで台湾ビールを買って持ち込み(屋台や簡単な食堂などでは、これが普通のようです)、初めての台湾の夜に乾杯! 中華風の牛肉や卵の醤油煮込みも実に美味しく、ぺろりと平らげると、その夜はおとなしく部屋に帰って寝ました。 なお、この日ほどけた緊張は、帰国するまで張りなおす事はありませんでした。 無論、我々が運が良かっただけなのかも知れませんし、いわゆる観光地とされるような所にあまり近づかなかったせいもあるのかもしれませんが、我々は8泊9日の滞在中、まったく不愉快な思いはしませんでした。 台湾は親日的だとの話は確かなようで、追々書いていきますが、我々が出会った方々は皆実に暖かく接してくださいました。


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明けて日曜日の朝は、準備で寝不足が続いていたこともあり、ちょっとゆっくり寝てました。 昼前に、ブランチとしてガイドブックで目をつけていた京鼎小館へ。 小龍包の店です。 ホテルからはちょっと距離があり、タクシーを使ったのですが、運ちゃんが店を発見できず、この辺りのはずだから、って感じで下ろされてしまいました。 ガイドブックの地図を見ながら難無く到着。 あれもこれもと食べまくりました。 無論味には大満足! そして安い! 前夜の夜市でも感じましたが、少なくともいわゆる庶民の食べ物については、日本の感覚よりもだいぶ安いようです。

食後は、折角だから一度見ておこうと腹ごなしにぶらぶらと歩いてMRTの駅へ。 駅も車内も清潔かつ近代的で、日本の地下鉄よりもよっぽど快適です。 京鼎小館でもそうでしたが、ここでも「我是日本人 我喜歓台湾」T-シャツはかなり注目されていました。

このとき、街を歩いてて気がついたのですが、台湾ではあまり服に気を使わないようです。 決して汚いモノやボロボロのモノを着ているわけではないのですが、なんと言うか、とりあえずタンスをあさって最初に手に触れたものを着てきました、って感じで、男女ともにコーディネートされてるという感じがしないのです。 で、そう言う大多数の中に、極少数ですが、ガンガンに気合の入ったおしゃれさんがちらほらと(笑) 女性のおしゃれさんは東京と変わりませんが、男性陣はかなりホスト入ってます。 MRTで我々の向かいに座ったお兄さんは、革パンに革ジャンで決めていました。 兄さんそれで暑くないんかっ!って感じ(笑)

ホテルへ戻り、ベルサービスで自転車の箱を受け取り、スタッフのヤンさんと言う方に案内してもらって裏手の駐車場へ。 ここで自転車を組み立てます。 ヤンさんは、50歳前後のおじさんですが、日本で働いていたことがあると言うことで日本語が上手く、我々が自転車を組み立てている間、そばで見ながら色々とお話をしてくださり、おかげで結構情報を仕入れる事が出来ました。 幸い自転車には何のトラブルも無く、調子は上々。 ヤンさんに相談すると、空き箱は快く預かっていただけることになり、また宿泊中は自転車はベルサービスで預かっていただけるとの事。 ホテルのロビーに自転車が二台も鎮座していていいんだろうかとも思いましたが、何しろ盗難防止にはこれ以上の話は無いので、ありがたくご好意に甘えさせていただきました。

さて、ようやく自転車が使えるようになったので、さっそく市内観光へ。 まずは総統府(日本統治時代の総督府の建物がそのまま使われている)を見に行こうと言うことで走り出しました。 ヤンさんのお話では、自転車は歩道を走ってよい事になっているのですが、これが非常に走りにくい。 台湾は原チャリが非常に多く、歩道はこれがズラーッと停められている上に、どうも人々が自転車馴れしていないようで、ベルを鳴らしてもまったく反応しないのです。 「トェイプチー」(すみません、の意)と声をかければ快く譲ってはいただけるのですが・・・。 すぐにたまりかねて車道へ。 危ないかなとも思ったのですが、実際走ってみるとこれが実に快適。 原チャリ専用とおぼしきレーンがあリ、また、老若男女みな原チャリを使ってるため結構ゆっくり走っている人もいて、特に自転車が流れを乱すような事も無く、スムースに走れました。

やはりここでもT-シャツはかなり注目されていました。 このときはT-シャツを着ていたのは自分だけで、自分が先行し、彼女が後ろからついてきていたのですが、彼女によると、相当数の原チャリがわざわざスピードを落として自分の背中を覗き込んでいったそうです。 自分も気付いたものについては信号待ちで並んだ時に「ニイハオ!」と声をかけてみましたが、いずれも満面の笑みで「ニイハオ!」と返してくれ、改めてこの国の親日ぶりがうかがえました。

そのうち、そうやって声をかけていたうちの一人が、「こんにちわ、日本からですか?」と、日本語で話し掛けてきました。 埼玉で働いていたことがあるらしく、カタコト+αぐらいの日本語が出来るようです。 あだ名は「たまごちゃん」、25歳で建築士の勉強中らしい。 彼は、自分のT-シャツを大笑いして絶賛し、お母さんが大の日本贔屓なので、きっと喜ぶから是非ウチヘ来てくれ、晩御飯をご馳走するからと言い出しました。 こう言う出会いを期待してのT-シャツですから、モチロンOK! 彼女共々、彼の原チャリに続いて彼のウチヘ向かいました。

彼の自宅は、市内からだいぶ南下した辺りの、結構豪華な感じの高層マンションでした。 お母さんと、二人のお姉さんに紹介され、リビングでレンコンのお茶をご馳走になりながらたまごちゃんと色々と話をしました。 お母さんは、ご両親から日本語を教わったとの事で、結構日本語がお上手でした。 たまごちゃんの方は、ちょっと話が込み入ると単語が分からないので、日本語+英語+筆談です。 そのうち、食事が出来たとの事でダイニングへ。 見ると大変なご馳走が並んでいます。 すっかり恐縮してしまったのですが、お母さんによると、その日はお墓参りに行ったため、元々ご馳走をする予定だったので気にしないでいいのだとの事。 お言葉に甘えてすっかりご馳走になってしまいました。 何でもお母さんはレストランを経営しているらしく、どれも大変美味でした。 食事をしながらお姉さん方も含め皆さんと、T-シャツは自分で作ったこと、自転車で高雄まで行くつもりであることなど、あれやこれやとお話。 お姉さん二人は日本語は出来ませんが、上が中学校の英語の先生、下が中華航空のスチュワーデスで、英語で色々話をしました。 たまごちゃんに、住所と携帯の番号を聞いていると、お母さんが自宅の番号を教えてくださり、旅行中、何か困った事があればいつでも電話して下さいとおっしゃってくださいました。 結局ご迷惑をお掛けする事は無かったのですが、このおかげで滞在中は実に心強かった。 本当に、ありがたいことでした。

その後、たまごちゃんの案内ですぐ近所の夜市へ。 後でガイドブックを見てもなんと言うところなのか分かりませんでしたが、結構な規模で本格的な夜市を堪能し、焼き小龍包(?)と豚の血で作ったもち?のようなものに挑戦。 いずれもちょっと日本では見られない感じのものですが、美味しかった。 たまごちゃんに総統府の前まで送ってもらい、手厚くお礼を言ってホテルに帰りました。



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翌日から、いよいよ自転車旅行の始まりです。 朝食は、ホテルの方に教わった、すぐ近所の豆漿の店へ。 豆漿と言うのは、要は豆乳なんですが、青臭さがまったく無く、豆の甘味が生きていて、実に旨い! これに油條と言う揚げパンのようなものをひたして食べるのが台湾流の朝食だそうで、この店のモノは特に美味しく、今回の旅行中食べたものの中でも三本の指に入るほどでした。

初心者の悲しさで、パッキング等の要領が悪く、出発は11時近くなってしまいました。 天候は薄曇で文句なし。 ホテルの方々に見送られ、いよいよ出発です。 一号線で台北から三重へ。 しばらくはストップ&ゴーの多い街中を走り、辺りがちょっと開けてきたところで上りに差し掛かりました。 すっかり周囲は田舎の光景で、何本か川を越えたのですが、どれもなにやら怪しげな色で、清流と呼べるようなものはなし。 事前に読んだ本の中で、かつての台湾は水が悪くて開発が大変だったとあったのを思い出し、さもありなんと納得しました。 もっとも、その辺は工場と思しきものが多かったので、そのせいなのかも知れませんが・・・。

桃園の先あたりで、ちょっとわき道にそれて昼食です。 牛肉麺を食べました。 相変わらず、安くて旨い。 その後はこれといったアップダウンも無く、スムーズに新竹へ。 街中は信号もあり、原チャリも多くてそれなりに気を使いますが、それでも路肩が広く、都内の事を思えばぐっとましですし、ちょっと郊外に出れば、何でそこまで!?ってぐらい路肩が広く、走りやすい事この上なし。 何しろ、場所によっては二車線の本線よりも路肩の方が広いんですから。 これは高雄に至るまでずうッとそんな感じで、「原チャリが多いからか?」「緊急時の滑走路?」などと話し合っていましたが、本当の理由は分からずじまいでした。

夕方、薄暗くなってきた頃、無事に新竹に到着。 ここでは飛び込みで宿を探さなければなりません。 とあるコンビニの前で地図を広げていると、通りがかりのおじさんが声をかけてきました。 やはりT-シャツに惹かれたようなんですが、これがまったく会話が出来ません。 日本語も英語も出来ないようなので筆談でと思ったのですが、それでもおじさんの書くことが皆目理解できず、こちらが胸のプリントを指差して「我喜歓台湾!」というとおじさんが微笑んでくれる、と言う以上のコミュニケーションは出来ずに、おじさんは立ち去ってしまいました。 彼女に自転車を任せ、現在地を訪ねるべくコンビニへ。 店員の女の子は英語が出来ず、もひとつ説明しかねていたのですが、どこからとも無く英語の出来るお兄さんを引っ張ってきてくれ、その彼に駅への道を教わって店を出ると、なぜか彼女が片手にビニール袋を持っています。 なんと、さっきのおじさんが戻ってきて、置いていってくれたのだとの事。 中身は飲むヨーグルトとパンでした。 自転車旅行者だと分かって、貧乏旅行だと思ったのでしょう。 これにはちょっとじぃーんときました。

さて、宿探しですが、これにはちょっとした思い付きを使いました。 新竹の駅前にはそごうがあるので、その前で地図を広げていれば、誰かが声をかけてくれるのではないか(笑)と言うことで、そごう前へ。 ところが、着いたとたんに警備員に叱られてしまいました。 どうも、入り口前に自転車をおいてもらっては困る、と言うことらしい。 といってもよく分からないので、「Can't you speak English?」と聞いてみましたが、首を横に振っています。 と、横にいたカップルが、「We can speak English. Can I help you?」と声をかけてきてくれました。 さっそく宿を探していることを話すと、予算を聞いてくれてなにやら電話をかけ、あっという間に宿を見つけてくれました。 やっぱり台湾の人たちはみんないい人ばっかしだぁ!(笑) 日本語ぺらぺらのホテルのフロントのお姉さんが原チャリで迎えに来てくれ、その先導でホテルへ。 着いてみると、ギョッとするほどきれいなホテル。 台北のホテルよりいくらか安い予算を伝えたのですが、はっきり言って数段きれいです。 結局このホテルが、滞在中泊まった中では文句無しのNO.1! 新竹へおいでの際は是非お勧めです(ま、あちらの物価を考えればちょっと高目かも知れませんが) ホテルの名は*(僕の旁が王)園商務飯店(Emerald Business Hotel) 朝食付でダブルが2000元、ツインが2500元ほど、無料で使える洗濯機と乾燥機、アイロンがあり、フロントには複数の日本語ぺらぺらのお姉さん(二人いたが、いずれも台湾滞在中で一二位を争うぐらい!)がおり、対応も非常に丁寧で、部屋はピカピカ! 市内はどこでも無料で送迎してくれます。 ってこんなところでホテルの宣伝してどーする!? 

夕食は、疲れていたこともあり、車で中心街へ送ってもらい、夜市へ。 お姉さんお勧めの新竹名物、貢丸湯(肉団子のスープ)と米粉(ビーフン)は絶品! 一日走った後はビールも旨く、言うことなし。 宿に戻って、洗濯をして寝ました。



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さて、明けて火曜日の朝。 朝食はせっかく付いているのだからって事でホテルのバイキングを。 決して悪くは無いのですが、やはりもっと台湾らしいモノにすべきだったか、などと話しながら食事を済ませました。

洗濯物の処理に手間取り、出発は11時過ぎ。 天気は良く、暑くなりそうな感じで、彼女は「焼けちゃいそうだなぁ・・・」などとぼやいていました。 出発間際、フロントで、昨日のお姉さんとは別の、しかしやはり日本語ぺらぺらのお姉さんに道を確認していると、「そういえば、パスポートのコピーは持ってますか?」「あぁ、それは気付かなかった。 いや、持ってないです。」「じゃ、ちょっとパスポートを貸してください。」と、コピーを取ってくれました。 細やかな心遣いにちょっと感心。 ただ、日本のコンビニなどにあるコピー機に、パスポートのコピーは禁じられていると言う旨の注意書きが張られているのを見たような記憶が・・・(カラーコピーだけだったかな?) 紛失時の備えとしては合理的ですが、まねする際は各自の責任で御願いします(笑)

宿を出て、まずは新竹の駅へ。 と言うのは、ここの駅をはじめ、台湾の鉄道の駅には日本統治時代の建物のままのところが多く、泊まった街ごとに駅で写真を撮っていけばいい記念になるかと思ったからです。 なんと、写真を撮ったのはこれが初めてでした。 と言うのも、二人とも普段あまり写真を撮ったりしないため、ホテルにカメラを忘れたまま街へ出てしまったり、バックパックに入れたまま自転車にくくり付けてしまってすぐに出せなかったり、あるいは単にカメラの存在を忘れていたりで、今考えると残念なのですが、旅行中ほとんど写真を撮らなかったのです。

ここで、客待ちをしていたタクシーの運ちゃん達がT−シャツを見て声をかけてきました。 ほとんど言葉が通じないにもかかわらず結構コミュニケーションが取れ、「我喜歓台湾」がえらく受けていました。 その後、前夜見掛けた新竹市政府(要は市役所)へ。 レンガ造りのきれいな建物だと思っていたのが、陽の光の下で見ると、な、なんと!? はりぼてではありませんか! つまり、本体は工事中なのですが、その周りの足場の外側に、見事なレンガ造りの建物のプリントを施した目の細かいネット(日本でも、緑色のはよく見かけますが・・・)がかけてあるのです。 これには二人とも大笑いしました。 この旅行中で一番のカルチャーショックだったかも。

街を抜け、しばらく走ったところで、とある街の小さな食堂で昼食を取ります。 自分は牛肉麺を、彼女は焼きうどんのようなものとスープを頼み、他に餃子と思しきものがあったので、これを各一皿注文。 ところが、壁のメニューに六片とあったので一皿6個だろうと思っていたのに、何を間違えたのか結構な大きさの皿にてんこもりの餃子が出てきてしまったのです。 一皿につき40個以上、しかも日本の餃子に比べると皮が厚く、やたらと喰い応えがあって、とても喰い切れませんでした。 いまだにどう言う行き違いでああなったのか分からないのですが、とにかく二人とも限界まで食べてギブアップし、店のおじさんおばさんに詫びて出発しました。

この日はちょこまかとしたアップダウンが多く、自転車に慣れない我々には結構しんどいルートでした(と言っても、初心者の我々が降りて押すことも無く走れたのですから、慣れた方には何てこと無いんでしょうが・・・) 餃子のおかげで腹が重かったこともあり、大して距離を稼げないまま日が暮れてきてしまいました。 地図や道の様子からは、この先は平坦で走りやすそうなんですが、目的地の台中はまだまだ先ですし、あまり無理をせずに輪行しようと言うことになりました。 道端で地図を広げて駅を探しているところへ、白バイが通りかかったので道を尋ねると、なんと駅まで先導してくれるようです。 異国の地で、しかも自転車で白バイに先導されるなんて、一生に一度の経験でしょう。 前後に白バイが付いてるんだけど、こっちは自転車と言う、VIPなんだか犯罪者なんだか分からないような状態で駅前に到着しました。

さて、ここで悩んだのが、そもそも台湾では輪行できるのか?と言う問題です。 台北・富都大飯店のヤンさんの話では、高雄から台北へ戻る際には自転車はそのままの状態、つまり分解せずに電車に乗れるよ、とのことだったので、ここでもそれで行けるのか、それが駄目ならそもそも輪行は出来るのか、別に手荷物料金は必要なのか? 何しろ台湾では初めての輪行なので、まったく勝手が分かりません。 その辺にいる人に聞いてみようと思ったのが間違いでした。 結構な田舎だったせいか、英語の出来る人はおらず、日本語もカタコト程度しか通じません。 散々苦労して筆談した結果、どうやら自転車をそのまま積める列車はその日はもう無く、翌日まで待て、と言うところまでは分かったのですが、輪行の概念については到底説明できず、実際たたんで見せようにも辺りは既に黒山の人だかりでとてもそんな状態ではなくなってしまいました。 彼女と相談し、ここはあきらめて次の駅まで行き、とっとと自転車を輪行袋に入れてしまって、改札を抜ける段になってなんか言われたらそこでしかるべき対応をすればいいや、と言うことで、やむなく次の駅へ。

途中のコンビニで聞いてみると、次の駅までは20kmはあると言われ、結構めげたりもしましたが、結局それほどの距離も無く大甲の駅へ到着。 早速自転車を分解していると、やはりその辺にいた人たちが話し掛けては来るのですが、先の駅のような、黒山の人だかりと言うことも無く、地元の方々とのコミュニケーションを楽しみながらの作業になりました。 切符購入のため駅構内へ。 ここで、予想外の問題が判明しました。 台湾を縦断する路線は、この辺りでは海線と山線に分かれており、ここ大甲の駅は海線、今日の目的地台中は山線にあるのです。 時刻表を見る限りでは普通列車は両線が合流する彰化行きしかなく、また切符売り場の駅員さんに台中までの切符を要求しても彰化までのモノしか出してくれません。 どうもその様子からは、既に9時近かったこともあり、彰化での台中行きへの乗換えを危ぶんでいるようです。 仕方ないので、とりあえず彰化に向かうことにし、改札へ。 何か言われるかと思ったのですが、問題なく通過。 台湾でも輪行は問題なく出来るようです。 こんな事なら前の駅でもこうすりゃ良かった、などとぐちりながら電車に乗り込みました。

さて、問題は台中まで行けるのか、彰化で泊まりになるのかです。 こう言う事態に備えて、あえて宿は予約せずに飛び込みで探す事にしていたので構わないと言えば構わないのですが、何しろ手元のガイドブックには彰化の情報はちょびっとしか載っていないので、あらかじめ目を付けておいた宿のある台中まで行けるに越したことはありません。 半ば諦めてガイドブックで彰化の宿を検討しているところへ、車掌さんが通りかかったので筆談で質問を試みると、「ああ、日本の方ですね?」と、たどたどしいながらも日本語で答えてくれました。 なんでも、終戦当時5、6歳だったため、少しは日本語が使えるとの事。 ひとしきり旅の話をした後で乗り換えの件を聞いてみたのですが、首を傾げています。 結局、乗り換えられるかどうかが分からないのか、こちらの言ってる事が理解できなかったのか、そのまま車掌さんは行ってしまいました。 そのうち列車は彰化の駅に到着。 すると先ほどの車掌さんがあらわれ、「向かいのホームに来る電車に乗れば台中まで行けるよ。」と教えてくれました。 ガイドブックによれば、台湾の電車は結構遅れる事が多いらしいので、連絡する列車ががあるかどうか、到着するまで分からなかったようです。 お礼を言って電車を乗り換え、無事に台中にたどり着けました。

駅からは、輪行袋を担いだまま、すぐそばの寶島大飯店(Formosa Hotel)へ。 昨夜の宿がえらくきれいだったので、もっと安いところでも問題なかろうと、ガイドブック中で一番安い宿にしたのです。 確か一泊840元、ツイン一室の値段ですから、一人頭1500円弱! カタコト+αですが日本語も通じます。 ここでチェックインをしてると、フロントのおじさんがテレビを指差し、「アメリカで飛行機が落ちた。」と言うのですが、画面には炎上するビルがうつっています。 そう、この日はあのテロ事件の日だったのです。 おじさんに、チャンネル××でNHKが見られるからと教えられ、急いで部屋へ。 結局この晩は遅くまでテレビに釘付けで、近所のコンビニでおにぎりや日本風冷やしこんにゃく麺(日本じゃ見た事も無い!)、台湾風煮込み卵、ビールなどを買い込み、部屋でテレビを見ながら簡単に夕食を済ませました。 ちなみに、夜市の食事のことを思うとコンビニの物価は高く、改めて台湾の庶民の食べ物の安さを実感しました。 繰り返し流れる飛行機突入やWTC崩壊の瞬間の映像は衝撃的でしたが、きりが無いのでとりあえず日本と台湾に直接影響が無い事を確認し、この日は寝ました。



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翌朝も、起床するや否や、テレビをつけます。 朝食も、何か買ってきて部屋で食べようと言うことで外へ出ました。 と、ホテルを出てすぐの角に広東粥の屋台があったので、屋台のお兄さんに勧められるまま、おかゆとその他おかず類を買い込み部屋へ。 そんないきさつだったので、味にはあまり期待していなかったのですが、一口食べて思わず彼女と顔を見合わせてしまいました。 メチャクチャ旨いのです。 皆さん、台中で泊まることがあったら、朝食は是非、駅からすぐの、中正路が緑川を越える橋の南側の角の屋台のおかゆを試してください!! ってこんなんで分かる訳無いか、店の名前も憶えてないんじゃあ・・・(笑) ま、同じところは無理にしても、台湾へお出でになる機会があったら、是非屋台や街の小さな食堂での食事にも挑戦してみてください。 自転車旅行中はほとんどこの手のところで食べましたが、どこも美味しく、親切に対応してくれましたし、もちろん腹を壊したりもしませんでした。 屋台の食事は不衛生だなどと書いてあるガイドブックもありますが、生ものさえ避ければ問題ないように思われます。 と言っても、もちろん責任はとりかねますが(笑)

ありゃりゃ、だいぶ話がわき道にそれちゃいました。 話を戻して・・・。

結局、テレビを見ている限り、これと言って新しい情報も無いし、旅行に直接影響があるわけでもない、と言うことでふと我に返り、準備をして出発です。 昨夜、輪行袋のまま部屋に持ち込んだ自転車を組み立て、まだほとんど市内を見ていなかったのでちょっと観光でもしようかと宝覚寺へ。 巨大な金色の布袋様を見た後、例によって記念撮影のため台中駅に向かいました。 と、こう書くとスムーズに行ったようですが、結構道に迷ってしまい、ずいぶん時間を喰ってしまいました。 そんなわけで、写真撮影後、市内で昼食。 あれはどう説明したらいいのか、ちょっとした大きな建物の中に屋台のような店がいくつもあるところで、醤油煮込みのバラ肉や豚足などを食べました。

で、午後も結構遅い時間になりようやく嘉義へ向け出発。 距離から言っても走破は無理なので、とりあえず彰化郊外の、花畑が見事だと言う公路公園園芸観光区までを目標に走り出しました。 しかし、昨夜遅くまでテレビに見入ってたため寝不足気味で、彼女のペースが上がりません。 コーヒーでも飲まないとシャッキリしないとぼやくので、彰化の街で喫茶店を見つけてコーヒーブレイク。 ここですっかり寛いでしまい、早くも外はたそがれてきてしまいました。 地図をチェックすると、この先の員林で一号線と線路は離れていってしまうため、その先の公路公園園芸観光区まで行くとなると輪行する駅まで細かい道を走らねばならず、彼女のコンディションや時間を考え断念。 員林まで走って輪行と言うことになりました。 あちらこちらで道を聞きながら員林駅へ。 この日のルートは前日までとはうって変わり、平坦で走りやすかったので、ここでの輪行はちょっと悔しかった。 もうすっかり要領も飲み込めていたので、ちゃっちゃと自転車をたたみ電車へ乗り込みます。 車内では、中学生と思しき女の子達がT−シャツを指差して何やら笑いながら話していましたが、さすがに疲れに負け声はかけませんでした。 彼女は爆睡です。

嘉義の駅に着くと、早速自転車を組み立て、ガイドブックで見つけた嘉冠大飯店へ向かいます。 ところが、ガイドブックの地図が間違っていたため、えらく苦労してしまいました。 といっても、台湾ではアメリカ同様、通りの名前+番地で住所が表示されているため、地図が間違ってると確信できさえすれば探すのはそれほど苦労しませんが・・・。

ようやく見付けたホテルに入ると、フロントでは日本語も英語もかなり厳しいのですが、フロントのそばにいた謎のおじさんが日本語で声をかけてきてくれ、彼の通訳でスムーズにチェックインできました。 話の様子からすると、ホテルの人間ではなく、ご近所さんのようなんですが、なんでホテルのロビーにいたのかよく分かりませんでした。 この人もT−シャツを喜んでくれ、しばしお話。 日本統治時代の生まれで、学校には行かなかったが両親から日本語を習ったとの事で、やはり当時相当日本語が普及していたことを実感しました。

ホテルを探す途中で見付けたコインランドリーに洗濯物を放り込み、食事へ。 ガイドブックにはあまり街の情報が無く、適当に中央噴水の辺りなら夜市があるだろうと歩き出しました。 この時気付いたのですが、この街には異様に眼鏡屋が多い! 駅から中央噴水にいたる中山路沿いの店の三分の一以上が眼鏡屋って感じです。 眼鏡の街嘉義? ところが歩いていくとどんどん辺りは暗くなっていき、開いている店もほとんどありません。 こりゃ失敗とホテルのほうに戻り、結局駅のすぐ前の食堂に入りました。 嘉義名物の鶏肉飯と、その他あれやこれやを指差して注文。 どれも絶品でした。 その後、彼女のリクエストで先ほど見かけたカキ氷屋に向かうも既に閉店。 諦めてホテルに戻り、NHKが入らないのでしばし現地のニュースを見ておとなしく寝ました。



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明けて木曜の朝。 前日の経験から、早めにコーヒーを補給しておこうとコーヒー屋へ。 今台湾では流行のようで、ちょっと探すとスターバックスもしくはその手のノリの店が見つかります。 しかし、街中の屋台のジュース屋では一杯20〜40元で出来たてのフレッシュジュースが飲めるのに、コーヒー一杯100元からは高い。 店員も英語が通じ、客もコマダム風のこぎれいな感じの人が多く、高級感たっぷり。 ブラックのアイスコーヒーを頼んだはずが、なぜかホットカフェオレになってしまいました。 これを持って街角の豆漿屋に入り、例によって、豆漿に油條と言うオーソドックスな台湾風朝食です。 悪くは無いのですが、やはり豆漿は台北のあの店のほうがうまかった。

この日の予定は台南までで、割と距離が少ない事もあり、二日続けて輪行した後なので、なんとしても走り抜こうと気合を入れて出発! と思ったら、一号線に入るのに迷ってしまい、しばし路地裏をウロウロ。 旅行中何度か一号線を外れて細いわき道に入ったんですが、こう言う道の方が異国情緒たっぷりで面白い。 いたる所に小さな、しかしチョッパデのお堂のようなものがあり、また家のたたずまいもだいぶ日本とは違う雰囲気でいい感じです。

街を出てしばらく走ったところで、北回帰線を越えました。 巨大な標識をバックに記念撮影。 自分の足でこう言うラインを超えるってのもなかなかの気分ですね。

この日のルートは、遠く東の方に山並が見える他は見渡す限り一面畑と田んぼの大平野で、まったくと言っていいぐらいアップダウンが無く、順調に距離を稼いでいたんですが、しばらくすると彼女が遅れだしました。 見ると左腕をかばっています。 どうやら疲れが肩に来た様で、水分補給に止まったコンビニで湿布を張り、ちょっとペースを落し気味にして再出発です。 これは帰国時に自転車をバラしてて気付いたのですが、二人ともハンドルの取り付けの際、一番下まで落とし込んでしまってました。 自分は特に不都合は無かったのですが、彼女はこれで腕から肩にかけて無理な力が掛かってしまったようです。 出発前、わざわざ合いマークまでつけておいたのに、素人丸出し(汗) よくこんなんで無事走りきれたモンだ(笑)

この日は道沿いで、棗(だと思う)の路上販売をよく見かけました。 興味はあったのですが、何しろ道が平坦で調子良く走れるので止まるのが惜しいのもあり、また、そのまま喰えるのかどうかが分からないのもあって素通りしてしまいました。

そのうち腹が減ってきたのですが、街を避けてバイパスを走っていたため、中々適当な店が見当たらず、「腹減ったぁ!」とぼやきながら走っていると、道沿いに巨大なカゴメの工場があり、その隣に食堂を発見。 2時を回っていたため、客は一人もおらず、大丈夫かなぁと心配しながら声をかけると、奥から20台半ばと思しき気の弱そうなお兄さんが出てきて、OKとの事。 入り口脇のショーケースの中のおかず類をあれこれ指差して注文し、ようやく昼飯です。 メニューはいずれも台湾風の料理で味も中々、冷房が無いのがちょっと残念と思っているとお兄さんがこちらに向けて扇風機を回してくれ、だいぶ楽になりました。 お兄さんは、隣にカゴメの工場がある事もあってか非常に日本に親しみを持っているようで、隣で作っていると思しきトマトジュースをサービスしてくれ、何かと話し掛けてきてくれました。 語学本を片手に、英語・北京語・筆談でコミュニケーションを取ります。 自転車で旅をしていること、T−シャツを自作したことなどを話し、隣の工場は日台合弁の会社で日本人も大勢おり、皆ここにお昼を食べに来ることや、お父上は日本統治時代を知っており日本語が話せることなどを聞きました。 もっとも、後になってそのお父上も顔を見せたのですが、もうだいぶお年で耳が遠く、ほとんど話は出来ませんでしたが。 ここではじめて、「台湾論」を読んで興味がわいたので来たのだと話してみると、「シャオリン○×△・・・」と言うので「小林」と書いてみるとニコニコしながら頷いています。 やはりだいぶ知れ渡っているようですし、彼の表情を見る限りでは非常に好意的に受け止めているようです。 残念ながら細かい意思の疎通には限界があり、読んだのかどうか、感想はどうかなどといった話は出来ませんでした。

結局随分と話が盛り上ってしまい、4時をまわってしまってから、彼が夕方の仕込を始めるとの事でようやく出発です。 しかし、写真はおろか、名前や住所を聞く事さえ忘れていたのは返す返すも残念です。 また台湾へ行く機会があったら顔を出そうと彼女と話してはいるのですが・・・。 この間に彼女もゆっくり出来たのでだいぶ元気を回復し、南下を再開しました。

しばらく走ってから、水分補給のためコンビニへ立ち寄りました。 ここで面白い小冊子を発見。 若い女性向のシリーズ物のハウツー本で、ダイエットやおっぱいを大きくする方法、避妊など性に関する情報などが一冊ずつにまとめられています。 ダイエット本には、部分ごとの痩せる体操とともに薬膳風ダイエット料理のレシピなどが載っており、さすが中華の本場だと笑いながらも感心しました。 また、ここで彼女が買ったパイナップル入りの月餅は絶品でした。 どちらも是非お土産に買って帰ろうと言ってたのですが、結局最終日が雨でバタバタしていたこともあり、残念ながら買いそびれてしまいました。

日暮れ近く、台南の駅に到着しました。 記念撮影を済ませて、宿探しです。 彼女がだいぶ疲れてきていたので、ちょっといい所をと言うことで、ガイドブック中でもまあまあの値段だった首相大飯店へ。 ツインで2150元、部屋は広くてきれいで、さすがに前日、前々日の800元そこそこの部屋よりはだいぶ豪勢です。

シャワーを済ませ、夕食は日本で計画していた時から目をつけていた阿霞飯店へ。 ここは、渡辺満里奈さん絶賛の蟹おこわのお店です。 結構遅い時間に行ったのですが、二人して着込んでいた『我喜歓台湾』T−シャツも大変気に入られ、また自転車で台北から来たと言うのもウケて、閉店時刻を過ぎ、従業員の方たちが賄いを食べ出す時間になっても、「ゆっくり食べてていいよ!」と、大変暖かく接してくださいました。 ここはメニューが無く、日本語の堪能なおばあちゃん(この店の看板娘か?)に「○○美味しいよ! ××美味しいよ!」と勧められるまま、どんどん注文していくシステム(?笑)です。 お目当ての蟹おこわの他、からすみ、ムツゴロウのスープ、ゆで海老などを頼み、ビールで乾杯。 まず、最初に出てきたからすみに絶句しました。 日本じゃあからすみなんて薄っぺらいのが5、6枚出てきて終わりじゃないですか。 それが、結構なサイズの皿に分厚いのが山盛り!! 大根とニンニクの薄切りが添えられており、これといっしょに食べるのですが、生まれて初めて口の中がからすみで一杯と言う体験をしました(笑) もちろんお味は言うことなし! 次はおばあちゃんお勧めのムツゴロウのスープ。 実はムツゴロウはこれがはじめてだったのですが、こんなに旨いものだとは知りませんでした。 海老もなんと言うか味が濃厚で、日本の海老より数段美味しい気がします。 そしてなんと言っても蟹おこわ!! ワタリガニのようですが、身が甘く、ミソもたっぷりで、おこわは蟹の旨味をたっぷり吸っていて、しばし二人とも黙りこくったまま蟹に掛かりっきりでした。 台湾の料理は総じて薄味なのですが、この店の味付けは結構しっかりしており、文句無しにこの旅行中でのNo.1!! はっきり言って、この店に行くためだけに台湾旅行を計画してもいい位です! あらかた食べ終わるとデザートの竜眼と杏仁豆腐が登場しました。 これも大変美味しく、杏仁豆腐の方はほとんど彼女が食べてしまいました。 いくら一日自転車で走った後にしたって喰い過ぎだっちゅうの!(笑)

お店の方々に見送られ、自転車に。 自分としては夜市に行きたかったのですが、彼女が、食べ過ぎて苦しいからとりあえず宿に帰らせてくれとの事。 だから言わんこっちゃない!(爆) 部屋に戻ると彼女はアッと言う間に寝てしまいました。 仕方なく、しばらく寝かせておこうとホテルのランドリーで洗濯を済ませ、それから起こそうとしたのですがびくともしません。 泣く泣く夜市を諦め、この日は寝ました。



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翌朝は、何しろ台南〜高雄50qと予定走行距離が短かったため、すっかり気が緩んでしまい、かなりゆっくり寝てしまいました。 昼前に、ブランチって事で、まずは(?)ちまきの再發号へ。 ここは彼女が出発前から目をつけていた店です。 具の組み合わせにより何種類かのちまきがあるようですが、迷わず海鮮・肉・野菜全て入った特製海鮮八寶肉粽150元を。 出てきたちまきは、こぶし大の大きさでゴロゴロと半分ぐらいは具が入ってて、そこに醤油ベースのとろっとしたアンがかけられています。 大ぶりの具も、その旨味をたっぷり吸い込み、かつほんのりと包んであった笹の葉の香りのするもち米も、もうたまらんって感じ。 出てきた時は結構大きく思えたのですが、アッと言う間に平らげた上で、今度は自分が行きたかった担仔麺の度小月へ。 いったいどんなけ喰うんだお前らは!(笑) 店に着くと、丁度開店準備が終わったところでした。 メニューは担仔麺のみ。 大椀小椀いずれかを決め、ビーフンか普通の麺かを選び、後はトッピングあれこれを選ぶシステムです。 小のビーフンと普通の麺とを一つずつ、そこに片っ端からトッピングを入れてもらいました。 一口食べるなり、二人ともヘラヘラ笑い出してしまうほど旨い! 日本で見掛ける担仔麺は、要はラーメンに挽肉を載せたものですが、本場のそれはまったくの別ものです。 自分の筆力では到底伝えきれませんので、興味のある方には実際行って食べてもらうしかないですね、こりゃ(笑) まじめな話、前夜の阿霞飯店を加えたこの3店に行くためだけに、台南へ行くのもありだと思います。 週末の一泊二日で行けるんじゃないかな。 無論、我々のような暴飲暴食のためには台北からじっくり自転車で行くことをお勧めしますが(爆)

ホテルに戻り、荷物をまとめてチェックアウトした後、ラウンジでのんびりコーヒーを飲みつつ久々の日本語の新聞に目を通しました。 おかげで大分浦島太郎状態から脱出できました。 昼過ぎ、ホテルの方々に見送られ、ようやく出発です。 この日も道はひたすら平坦で、両側は見渡す限り田んぼか畑。 アップダウンは所々にある陸橋だけで、さすがに疲れを隠せない彼女のためにものんびりペースで進みます。 この日は、火龍果(ドラゴンフルーツ)の路上販売を多く見かけました。 ま、高雄でも手に入るさと先を急ぎます。

途中、例によってコンビニで水分補給し、彼女が隣のカラオケボックス(そこら中にある)にトイレを借りに行ってるときです。 自転車用ヘルメットを被りMTBにまたがった、しかしYシャツにネクタイと言うけったいな格好の白人二人組が通りかかりました。 なんだありゃあと見ていると目が合った瞬間、「ニイハオ!」と声をかけてきたので「ハロー!」と返すと興味を持ったようで自転車を止めて話し掛けてきました。 聞いてみて納得、彼らはキリスト教の布教活動をしているのです。 つたない英語で、旅行のこと、彼らの活動のことや例の同時テロのことなどを話して別れました。

夕方、まだ明るいうちに高雄市街に入りました。 地図を片手に高雄駅へ向かいます。 あれは、4時過ぎぐらいだったでしょうか、とうとう最終目的地高雄の駅に到着です。 さすがに自分の足で(いやいや相当輪行したじゃねーか!)、台湾を縦断した(あくまで台北〜高雄間で、最北端も最南端も見てもいねーじゃんか!)感慨は格別です(笑) 今後彼女を自転車にはまらそうと言う下心もあり、大げさに褒め称えてやりました(爆) 例によって駅前で記念撮影。 ここで、二人一緒に撮った写真が一枚も無いことに気付き、駅前を歩いていたサラリーマン風のおじさんを捕まえ、シャッターを押していただきました。

この日の宿は、あらかじめ予約しておいた白金漢(バッキンガム)大飯店です。 ところが、ガイドブックの地図の位置まで行ってもいっこうに見当たりません。 また地図が間違っているのかとも思いましたが、住所からしてもその辺りのはずです。 散々その辺りを走り回り、そこらの人の訪ねまくってようやく発見したホテルは、買収されたのか何なのか統茂休間旅館高雄店と名前が変わっており、玄関脇に小さく原白金漢大飯店と書かれているだけでした。 ガイドブックはともかく、ここは日本の旅行社から予約したのにとさすがに頭にきてしまいました。 もっとも、これはホテルに文句を言う筋合いでもないので、内心密かに「もう二度とあの旅行社は使わねーぞ!」と思いつつ、にこやかにチェックインしました。

ゆうーっくりとシャワーを浴び、ガイドブックを検討して夕食は海鮮の*(虫ヘンに尋)之屋に決め、二人して「我喜歓台湾」T−シャツを着込み自転車で店へ。 結構距離があったのですが迷う事も無く無事到着。 ここでもT−シャツが大受けし、また、日本語の出来るウェイトレスに台北から自転車で来た旨話したらすっかり店中の話題になってしまったようで、他のテーブルはどこを見てもそんなことしてないのに、我々のところだけ常時一人か二人お姉さんが付きっ切りと言うVIP待遇を受けてしまいました。 蟹の塩炒め、蝦の塩蒸し、ヘチマ炒めなどを頼んだのですが、正直言って印象は薄かった。 決して悪くは無い、って言うかかなりのレベルだったとは思うのですが、やはり海鮮については前日の阿霞飯店がズバ抜けていたためだと思います。

なんにせよ自転車旅行はこの日で終わり。 二人とも心地良い安堵と充実感に包まれてすっかり酔っ払ってしまい、お店の方々に見送られて店を出ました。(どこへ行ってもお店の方々に見送られているようですが、全部本当です。 T−シャツと自転車は予想以上に受けました) 大分酔っていたこともあり、しばらくは自転車を押して歩いていたのですが、すぐにまどろっこしくなり走り出してしまいました。 次なる目的地は彼女のリクエストの高雄牛乳大王。 パパイヤのミルクシェークの店です。 目の前で、たっぷりのパパイヤと牛乳をミキサーにかけて作ってくれる木瓜(パパイヤ)牛乳は絶品です。 台湾ではどこに行ってもフルーツ系の飲み物は全部目の前でフレッシュなフルーツを使って作ってくれるので絶対にお勧め。 ちなみに自分のお気に入りは西瓜汁でした。

ここでだいぶ酔いも醒め、次に向かうは六合二路夜市、ここは、我々が行った中で最大の夜市です。 金曜日の夜と言う事もあってかすごい活気でした。 自転車は終わりと言う開放感から1時過ぎまでウロウロしてたんですが、我々が帰る頃になっても若者が続々原チャリで駆けつけて来る有様です。 あれこれと屋台を冷やかしながら買い食いなどしていると(オイオイ、ついさっき晩飯喰ったばっかだろうが!笑)、とある屋台の眼鏡屋のおじさんが声をかけてきました。 怪しげなピンク色のフレームの眼鏡をかけた、はっきり言って目つきの悪いおじさんで、最初はセールスかと思ったのですが、どうやらこのおじさんもやはり我々のT−シャツに惚れ込んでしまったようで、商売ッ気はまったく無し。 日本語はあまり出来ないのですが、主に英語で、そのT-シャツは素晴らしい、もし良かったら明日の晩この街一番のレストランに招待させてくれないか、などとまくし立ててきました。 明日昼間の内に台北に戻らなければならないのだと伝えると非常に残念がり、もしまた高雄に来ることがあったら是非連絡してくれと名刺をくれました。 人種的な問題なのか、あるいは南国の強烈な陽射しのせいなのか、台湾人の、特に男性の中には我々日本人の目から見ると目付きの悪そうな方が多いような気がします。 ここまで登場した方だけでも、最初の晩の夜市で通訳をしてくださったおじさんや富都大飯店のヤンさん、大甲〜台中への車中でお話した車掌さんなど、はっきり言って日本でならその道でメシが喰えるんじゃないかってぐらい鋭い目をしてるんですが(笑)、皆さん大変親切にしてくださいました。 無論いい人ばかりでは無いとは思いますが、もし台湾にお出でになることがあったら、単に目付きが悪いってだけで必要以上に警戒しない方が楽しい思い出が出来るように思います。

ぶらぶら見て廻っているうち、とあるジュース屋で昼間ちょくちょく見かけた火龍果を発見しました。 さっそくジュースにしてもらうと、皮の紫色が鮮やかな、爽やかな酸味と甘味のジュースで実に美味しかった。 ここで彼女は何やら怪しげな果物をジュースにしてもらってましたが、これは酸っぱいばっかりで失敗だったようです。

この夜市で、彼女はちょっと面白いデザインの服を見つけ、あれこれ試着した挙句一着購入しました。 自分は女性の服の事は良く分かりませんが、彼女によればいい買い物だそうです。 確かに日本ではあまり見かけないようなデザインですし、よく似合っててもいて、安いように思われました。 後になって考えてみたら、食い気一直線の今回の旅行で後々残るような買い物はこれだけでした。

この後、屋台の果物屋を覗いていると、そこのオヤジにしきりにあれがいい、これを買えと勧められました。 正直、捕まっちゃったって気もしないではなかったのですが、その勧め方がどこかこう、売らんかなって言う感じではなく、本当に旨い物を食べて欲しいって言う印象を受けたので、勧められるまま、パパイヤや火龍果、釈迦頭などを買ってホテルに帰りました。

 

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前の晩、すっかり夜遊びで遅くなってしまったのもあり、もう走らないんだと言う開放感もあって、翌朝起き出したのはだいぶ日も高くなってからでした。 チェックアウトまであまり時間がなかったので、とりあえず前の晩夜市で買った果物で腹をなだめて置くことに。 さすがにいつ食べるか細かく聞いて熟れ具合を選んでくれただけあってどれも絶妙な加減です。 初体験の火龍果と釈迦頭は、前者はさっぱりとキウイに近いような酸味と甘味があり、後者はいわゆるトロピカルフルーツ特有のねっとりとした甘味があって、いずれも美味でした。

ホテルをチェックアウトし、高雄の駅へ行こうとしたところで、自分の帽子が無いことに気付きました。 ともに台湾を縦断しただけに愛着があり、あちこち探したのですが見当たりません。 考えてみると、昨夜ホテルに戻る時にかぶっていたかどうかも定かではない。 夜市で無くしたのであればもはやどうしようも無いのですが、ひょっとしたら夕べ晩飯を喰った店かもと言うことで、後ほど電話することにして駅へ向かいました。

さて、高雄からは、特急「自強号」にて台北へ戻ることにしていました。 富都大飯店のヤンさんのお話では、ここでは自転車を分解せずにすむはずです。 ところが、散々構内をウロウロしていろんな人に尋ねた挙句分かったのは、それで頼むと自転車が台北に着くのは翌日になるとのこと。 当日分の予約が一杯なのか、それともそもそも貨車はそう言うダイヤなのかはわかりませんでしたが、何しろ夕方には帰りの飛行機に乗るってのに、そんな冒険は出来ません。 幸い自強号でも輪行は可とのことなので、渋々自転車をたたみます。

駅の脇のひさしの下で作業をしてると、派手なアロハを着たおじさんが話し掛けてきました。 最初は日本語でしたが、だいぶ忘れてしまっているようで、こちらが英語が出来ることを確認して英語に切り替えました。 なんでも、子どもの頃はもっと日本語が出来たらしいんですが、相当長い間アメリカで働いていて、ほんの数年前に台湾に戻ってきたため、さび付いてしまったようです。 「この人も、金美齢さんのようにブラックリストに載せられてたのかな?」などとも思いましたが、そんな話題をふった日にゃあ自分の英語力ではあっという間にパンクしてしまうので触れられませんでした。 例によってT−シャツを誉めていただき、台北から走ってきたことを話すと、しきりに台湾東部にも行くように勧められました。 どうも東部出身の方のようです。 今回は、自転車旅行自体はじめてな上に、東部はアップダウンが激しいようなので行かなかったが、今回の旅行で大変台湾が気に入ったので是非次回は東部も含め台湾一周を果たしたいと思っていると言うと大変喜んでくれました。 もっとも後で彼女にそのことを話したら、「冗談でしょ?」とあっさりかわされてしまいましたが・・・(笑)

自転車のパッキングを済ませると、おじさんに別れを告げ、14時40分発台北行きの切符を買って改札に自転車を運びます。 ここで彼女に荷物を任せ、行方不明の帽子を探すべく夕べの店に電話です。 ところが、夕べは日本語の出来るスタッフが結構いたのに、このときは日本語がまったく通じず、大変な苦労をしました。 何しろ帽子の忘れ物は無かったらしい事を確認できた時にはもう列車の発車時刻が迫っており、慌ててホームに向かい、何とか乗り込みました。

席に落ち着いてすぐ、二人とも大変なことに気付きました。 ここまで読んできてくださった方ならもうお察しかも知れませんが、台湾到着以来、走る食欲と化していた我々が、この日は朝ちょこちょこっとフルーツを食べたっきり、飯も食わずに電車に乗ってしまったのです。 台北までは6時間近く掛かると言うのに・・・。 ガイドブックによれば、弁当の車内販売があると言うことなので、それを待つより他ありません。 彼女は眠り、自分は本を読むつもりでいたのですが、二人とも空腹でそれどころではありませんでした。 ようやく弁当のワゴンが廻ってきたのは6時過ぎ。 もう台北が近かったこともあり、夕食に差し支えないようにと一つの弁当を分け合って貪り喰いました(笑)

高雄ではいい天気だったのが、台北に近付くころには窓の外は雨でした。 旅行中、ここまでは一度も雨には降られずにすんでいたのですが、いよいよ捕まってしまったようです。 最初は台北駅からホテルまで走るつもりでいたのですが、雨ではそれも億劫なので、MRTにて民権西路まで行き、自転車は輪行袋に入れたまま、歩いて富都大飯店へ。 シャワーの後、ガイドブックを検討して、台湾料理の欣葉にて夕食と言うことで話がまとまりました。

苦労して持ってきたワンピースを着ないのはしゃくだと言うことで、ちょっとめかしこんだ彼女とともにタクシーで欣葉へ。 蜆醤油漬け、からすみ、角煮、腎臓の焼酎煮などを試したのですが、腎臓だけはまったく口に合いませんでした。 台湾滞在中、唯一のハズレ。 他は充分美味しかったのですが、ここまでは毎晩たっぷり走った後だったのが、この日はまったく走らなかったせいか彼女の食欲が振るわず、自分もちょっと感動が薄いように思われました。 台南の、阿霞飯店の印象が強く残っていたのもあったのかも知れません。

その後、彼女のたってのリクエストでマンゴーカキ氷の氷館へ。 土砂降りの雨だと言うのに大変な込みようでしたが、一口食べて納得しました。 たっぷりのマンゴーに練乳が実に良く合い、なんともウマイ!! マンゴーのシーズンは9月で終わりだそうで、これに間に合ってよかった!と思ったくらいです。

さて、次はこの5日間の疲れを癒すべく、マッサージです。 長春路の温*(草冠に沙)堡(ウインザー)に行きました。 ほとんどのスタッフが程度の差こそあれ日本語が通じます。 我々は、120分の全身マッサージと足裏マッサージ、それに耳掻きを頼みました。 二人部屋は一杯との事で、隣り合った個室へ案内され、マッサージ開始です。 蒸しタオルで全身を暖め、手で揉み、伸ばし、足で踏んで徹底的にほぐしてくれました。 足裏も、噂に聞くほど痛くは無く、実に快感です。 耳掻きは、耳鼻科の医師が使うような反射鏡をつけたおじさんが丁寧に掻いてくれ、頭が軽くなったような気さえします。 二人で6400元と結構な出費でしたが、自転車で疲れた体には最高のご褒美でした。 すっかり気持ち良くなってホテルへ帰り、バタンキュウで寝てしまいました。



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翌朝は、月曜日にここを発つ前に行った豆漿の店を再訪。 やはりこの店の豆漿がダントツです。 ホテルへ戻り、とりあえずチェックアウトを済ませてから、自転車の梱包です。 ところが、どうしたことか、自分の自転車のハンドルの臼が落とせません。 彼女の手前、平気な顔をして見せてはいましたが、内心すっかりあせってしまい、あれやこれやと工具を替えてガンガンたたきまくり、傷だらけにしてしまいました。 結局そこで外すのを諦め、ハンドルのバーを固定してる部分から外しました。 帰国後、自転車屋にて訊ねたところ、こんな場合には臼のねじを外してしまえばいいのだとの事。 今更ながら、こんなことも分からずによくやれたモンだって思います(笑)

外は台風16号が接近中とのことで大雨です。 さすがに空港までの移動は車を頼むことにし、ホテルで手配してもらって我々は台湾最後の食事へ。 甘いものも試して見たいなと言うことで、北京風菓子の有名な京伊兆にしました。 冷やし中華っぽい麺を食べ、その後で西太后が愛したと言うお菓子あれこれに挑戦。 しかし、台湾でもダイエット流行なのか、どれも甘さ控えめでも一つもの足りません。 彼女などは傲慢にも「こんなモンありがたがってるようじゃ西太后も大したことねぇな。」などと暴言を吐いておりました(笑)

ホテルに戻ると既に我々の自転車を積み込んだ車が待っていました。 台風による大雨で渋滞するかもとの事で、あわただしく空港へ向かいます。 雨は激しさを増す一方で、ホテルの方は大丈夫だと言ってくれはしたものの、フライトがキャンセルになりはしないかとだいぶ気をもみました。 空港のカウンターでは、例によって重量オーバーなのですが問題なくチェックインでき、特に台風のことも言われませんでした。 DFSにてパイナップルケーキ、からすみやお茶など大量のみやげ物を買い込み機内へ。 ボーディングブリッジも外され、タキシングを始めて、「いよいよこれで台湾ともお別れかぁ・・・」などと感傷に浸っていたのですが、ちょっと動いたところで飛行機は止まってしまい、中々離陸しようとしません。 良くあることだとは思ったんですが、さすがに台風がすぐそこまで来ているだけに、だいぶはらはらさせられました。 結局、2〜30分ほど遅れてようやく離陸し、胸をなで下ろしました。 飛行中も大したゆれは無く、「こりゃもう既にだいぶ小さくなってるのかな?」などと思っていたのですが、帰国後知ったところによれば、この台風は台湾全土に大変な水害をもたらし、台北市内は70年ぶりの大洪水に見舞われたとか。 少なくとも自転車に乗ってる間一度も雨に降られなかった我々は大変運が良かったようです。


到着後は、ワゴンのタクシーを捕まえて帰宅。 一通り片付けると彼女と無事を祝って乾杯し、二人とも泥のように眠りました。


先日、コンビニで買い物をしていて、ふと豆乳が目に止まり、台北の豆漿を思い出して思わず買ってしまったのですが、やはり日本の豆乳は昔ながらの不味い豆乳でした。 あぁ、やはりあれはもう一度台湾に行かねば味わえないのか・・・と、改めて再訪を胸に誓いました。

次こそは、台湾一周だぁぁっ!!



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 お世話になりました! 
   ネットで 
    『かずあきの、自転車旅行と旅行貯金の部屋』 
      http://kazuno.net
      言わずもがな、ここのトップでもある、この旅行記をこんなに見事なページにまと 
      めて下さったかずあきさんのHPです。 旅行前には、自転車の事、台湾の事など詳 
      しく教えて頂いた上に、このようなページまで作っていただき、感謝の言葉もあり 
      ません。 
    『まるごと台湾 
      http://www.marugoto-world.com/taiwan.htmll』 
    『台湾広場 
      http://twhinet.org/』 
    『なんちゃって台北 
      http://www.es-asia.com/taipei/index/index.htm』 
    『台湾観光客による台湾観光指南 
      http://www2.odn.ne.jp/aad54320/』 
      台湾事情のチェックのほか、T−シャツに入れる北京語について掲示板で教えてい 
      ただきました。 
   お店 
    『ヒラコサイクル 
      http://www.hirako.com』 
      自分の地元、神奈川県逗子市の自転車店。 店舗が大きく、自転車はもちろんですが、 
      周辺機器やウエアを実際手にとって見られたのは初心者にはありがたかった! 社 
      長をはじめ皆さん親切ですし、ことに看板娘の『きーちゃん』には、彼女がウエアの 
      事などで貴重なアドバイスを頂きました。 
    『松崎自転車 
      http://home.att.ne.jp/sea/mtzk』 
      ネットで見つけた、目黒区祐天寺の自転車店。 店の構えはいわゆる町の自転車屋 
      さんですが、ネット通販もあり、おしゃれな自転車をオーダーメイド出来る店とし 
      て有名なようです。 我々が購入したのは『MERIDA CROADCF8500』(\39800−) 
      最初、これにしたのはフロント+シートサス付でこの値段と言うリーズナブルさか 
      らですが、二台目もまったく同じものを購入したのは、社長の人柄に惚れ込んだか 
      らです。 
    『東急ハンズ横浜店』 
      T−シャツ作成にあたり、アイロンプリント原稿を作ってもらいました。 

   書籍、ガイドブックなど 
    『台湾論』小林よしのり 
    『台湾人と日本人』『日本に恋した台湾人』『台湾論と日本論』謝雅梅 
    『台湾紀行』司馬遼太郎 
    『台湾人と日本精神』蔡焜燦 
    『台湾の主張』李登輝 
    『満里奈の旅ぶくれ たわわ台湾』渡辺満里奈
      その他、金美齢、黄文雄など多数 
    『るるぶ台湾』 
    『まっぷる台湾』 
    『個人旅行 台湾』
    『旅の指さし会話帳8 台湾』片倉佳史 
   friends 
     Miki O 
      T−シャツの原稿作成にあたり、PCの使い方を根気良く教えてくれました。 自分の 
      女友達の中では三本の指に入る美女にしてPCオタク(笑) 
     Siguru k 
      友人の父君ですが、仕事上よく台湾に行かれるとの事で、現地の情報についてお教え 
      いただきました。 
   special thanks to... 
    『鮒子のVIVA!特売! by雷波少年』 
      なんなのだと思われるでしょうが、彼女が以前から好きな番組でして、今回こんな 
      おバカな企画にノッたのも、なんとか走り切れたのもみんな鮒子のおかげなんだそ
      うです(爆) 


長々とお読み頂き、ありがとうございました。 御感想や御指摘、御質問などありまし
たら、下記までご一報ください。 
 がん 
  gunn1970@hotmail.com 
    
     

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